脱スピ、卒スピのすゝめ


いわゆるスピリチュアリズムは、結局のところ、

弱肉強食の世界観をベースにしています。

 

魂がすばらしい人が霊的強者。

幸運ばかりをじゃんじゃん引き寄せることができるという。

 

不幸、不運が起こるのは霊的弱者。

あなたの魂にネガティブな要素があるから、不幸を引き寄せるのだという。

 

だからスピリチュアリズムでは、

ネガティブな現状をなかなか認めようとしません。

そんなことをすると、幸福引き寄せ自慢ができなくなるから。

 

 

「私はいつもすばらしい人と状況に恵まれています、宇宙に感謝します。」

 

↑【翻訳】私の魂の波動はこんなに高くてすばらしいのよ、すごいでしょ。

 

 

そして、霊的強者であるセラピストは、

あなたの魂から霊的負債をとりのぞいて、

あなたが幸せに生きられるようにしてあげると称して、

各種メソッド、セミナー、ワーク、グッズを、次々と考案しては売り込みます。

 

スピリチュアル的な霊的負債の例↓

 

↑嘘か真かもわからない負債を次々と発明して、あなたを不安にさせる。

 

不安になったあなたは、各種霊的負債をとりのぞけるという、

スピリチュアルワークの泥沼にはまっていく。

 

そこには何の救いも幸福もありません。

たぶん各種カルト宗教の構造もこれと同じでしょう。

 

あちこちのスピリチュアルセッションに通い続ける人は、

セラピストの自己実現欲求を満たす生贄でしかないです。

 

あなたの大切な魂を、そんなものに喰わせるのはもうやめましょう。

あなたはスピリチュアリズムの餌じゃない。

 

あなたの人生は、人間の小手先テクニックで思い通りにコントロールできるような

ちっぽけなものなのでしょうか?

 

 

冷静に考えて下さい。

 

生きていれば、自然災害、重い病気、不慮の事故など、

わたしたちの人間的努力ではどうにもならないことがたくさんあります。

 

スピリチュアリズムは、それらに対する答えをもっていません。

当事者の波動が悪いせいにするか、

前世のカルマのせいにするか、

宇宙に委ねましょうという言葉でごまかす。

 

「宇宙に委ねましょう」

「天に任せましょう」

 

ってのはね、ようするに、

 

「私にはわかりません」

 

ってことですよ。

 

わからないなら、わからないと、素直に認めればいいのに。

 

スピリチュアリズムにハマればハマるほど、

自分の無力さを認めることを嫌って、

「私にはわかりません」と言えなくなるんです。

「宇宙に委ねましょう」等、深みがありそうな言葉でごまかしを重ねる。

 

スピリチュアリズムは、

人間に起こる幸・不幸をコントロールできないし、

そのメカニズムもわかっていないです。

わかったようなふりをしているだけです。

 

 

あなたの幸・不幸は、あなたの魂が引き寄せているのではないです。

 

すべてのことは、わたしたちの命の源である神、

すなわち真の神の采配の中で起こっているものです。

 

God Only Knows.

 

わたしたち人間を含め、天地万物をお造りになった神様の御心を、

人間ごときが知ることはできず、理解することもできません。

理解できなくて当然なのです。

それが人間なのです。

 

 

 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり

 わたしの道はあなたたちの道と異なると

 主は言われる。

 

 天が地を高く超えているように

 わたしの道は、あなたたちの道を

 わたしの思いは

 あなたたちの思いを、高く超えている。

 

 ――旧約聖書 『イザヤ書』 55章8-9節

 

 

因果関係が明らかな事柄については、私たち自身で正していきましょう。

(例)食べ過ぎてお腹をこわした、遅刻ばかりして信頼を失った

 

しかし、人間の努力の範疇を超えている事柄、

とくに理不尽な事柄については、

人間的な考えやテクニックでごちょごちょいじることはできません。

そこは神の領域だから。

 

人間の努力の範疇を超えたトラブルを、

人間の努力で解決するのは不可能です。

 

まず真の神に、ありのままの惨状、怒り、不安、嘆きなどを訴えましょう。

 

真の神の御計画の中で、あらゆることが起こっているからこそ、

その御計画の実施者である神ご本人に、

こちらの現状をありのまま訴える価値がある。

私たちを最善へと導いていただける希望がある。

「今できる最善のこと」を教えていただける。

 

 

神の領域と、人の領域の、境界線を知ってわきまえる。

人間的な努力でできるのは、ここまでです。

 

しかしスピリチュアリズムの世界で生きていると、

神と人との境界線を知ることも、認めることも、守ることもできないです。

 

自分の真相(無力な自分)を受けいれることもできません。

弱肉強食のスピリチュアル競争世界で、

「私は何でも知っている、霊的真理に精通している」という自慢を重ね、

延々と自分の魂を強く見せ続ける演技を続けねばなりません。

 

↑巷のスピリチュアリズムは、

一言でいえば、「アホくさい」です。

 

アホくさいことにたくさんの年月とお金を費やした馬鹿な私から、

脱スピ、卒スピを考えているあなたへ、

最後に一言いわせてください。

 

「アホくさいことは、今すぐやめませんか?」